「ここにもあったよ! ふるさと上鷺宮の万葉花だより(菖蒲編)」No.42

アヤメ 上鷺一丁目

花菖蒲 明月院にて

葉菖蒲 ネットより

今回は来月の5月5日の端午の節句に向けて「菖蒲」にしました。

その5月5日の行事の歴史を紐解くと何と2300年前の古代中国に遡り着きます。昔、漢文で勉強した記憶がある楚の国の大臣の屈原。人望があった彼が陰謀にあい失脚。世を嘆き川に身を投げる。地元の人は悲しみ、毎年、命日に供養のためにチマキ等を川に捧げた。この命日が5月5日。この風習が奈良時代に伝わり日本独自の年中行事に変わっていったようです。時代と共に金太郎人形や鍾馗人形、武者人形、甲冑が飾られだし、その脇に「花菖蒲」が添えられました。同時に菖蒲湯に入れるのが「葉菖蒲」。このように「菖蒲」には「花菖蒲と葉菖蒲」があります。右の写真が葉菖蒲。中央の白みがかった長い部分が葉菖蒲の花です。中央の写真が花菖蒲。では何故、端午の節句に菖蒲を飾ったのでしょうか。もともと宮中で行われていた行事が廃れてきて、どうやら鎌倉時代あたりから男の子の節句として広がっていったようです。菖蒲は尚武(武道を貴ぶこと)に通じていて武家の中では縁起が良いものとされ、花菖蒲を飾ったのでしょう。これが江戸時代になると庶民に広がっていきました。花菖蒲は別名をカキツバタ=花菖蒲(実は細かく調べてみるとこの分類は大雑把すぎます。微妙に違うようですが、ここでは触れません):西洋名はアイリス。ギリシャ語では虹の意味。昔、花の汁で布を染めたので「書きつけ花」となり、次第にカキツバタに変化していったらしい。花菖蒲の葉には香りがありません。しかし葉菖蒲は強い芳香があります。この匂いが不浄を払い、邪気を遠ざけるとされた。そこで風呂に入れると油性分が溶けだし血行がよくなる。花菖蒲(カキツバタ)、アヤメの簡単な見分け方は次の通りだそうです。アヤメは乾いた土に生える。カキツバタは水中から生える。菖蒲は湿地に生える。
「いずれがアヤメかカキツバタ」よく使われる慣用句ですね。意味は二つあって①どちらも素晴らしくて優劣がつけにくい。特に女性について使われます。②双方がよく似ていて見分けがつけにくい。まさにアヤメ、ハナショウブ、カキツバタの違いですね。源平合戦直前の悲劇の武将、源頼政の逸話から生まれたようです。興味のある方は調べてみると面白いですよ。

ホトトギス 鳴くや五月のアヤメ草 アヤメも知らぬ 恋もするかな     古今集 詠み人知らず
(ホトトギスが鳴いている風薫る五月に美しいアヤメが咲きそろっている。でもね、そのころに、道理もわからぬほどの無我夢中の恋をしますわ) アヤメ=文目(文目は物事の筋道、道理。着物の模様等の意味)

我(あ)れのみや かく恋すらむ かきつはた 丹(に)つらふ妹は いかにか あるらむ     万葉集
(私だけがこんなに恋い焦がれているのであろうか。カキツバタのようにほんのり紅をさした頬のあの娘はいったい私の事をどう思っているのだろうか)

からころも きつつなれにし つましあらば はるばるきぬる たびをしぞおもふ  在原業平 伊勢物語
(唐衣の着物の美しさが体になじんできた妻。今はるばる旅に出てきて愛しさがしみじみわかる)

歌の中の思いつめた妻は実は「仮想の妻」。歌の通り、それほど思いつめていたのでしょう。身分の違いから当然の失恋。東下りは実は傷心の旅でした。この女性は後に皇太后になるのです。それは禁断の恋になるところでしたね。この和歌は五句の頭の文字を拾うと「かきつばた」となるのです。和歌にも秀でた当代随一のプレーボーイ業平ならではの和歌ですね。

神山の 大田の沢の カキツバタ 深きたのみは 色にみゆらむ            藤原俊成

【戸引】