梅雨の頃に咲く栗の花

10月に色づく栗の実 上鷺1丁目

 九月、十月前後になると、いよいよ秋の果物の季節。ブドウ、ナシ、柿、そして今回、テーマにした栗。「桃栗三年、柿八年、柚子は九年でなりかねる」と言われるほどなじみ深く、比較的に成長が早い植物だったのでしょう。何と数千年前の縄文時代から食されていました。二十年くらい前に行った、青森県の三内丸山遺跡(縄文時代)の資料館には発掘され栽培されたと思われる炭化した栗が展示されていました。さらに調べてみると長野県の遺跡から一万数千年前(新石器時代?)の栗が見つかっています。大昔から栗との深い付き合いがあったのですね。
 私は栗が大好き。栗きんとん、栗饅頭、栗羊羹、栗の渋皮煮、甘栗、栗ご飯…西洋ではマロングラッセ、モンブラン…昔は栗を茹でて小さなスプーンでほじくって食べました。ほのかな甘さが当時は貴重でしたね。しかし時は流れて、昨今は皮をむく手間が敬遠されて、果物を敬遠するという何とも悲しいような、寂しいような、腹立たしいような流れになってきました。果物の中で栗の皮は鎧級。手では剥けないし、もちろん皮ごとは狂気の沙汰。若い層から栗の関してはさらに見向きもされなくなってきました。しかし、最近は剥きやすくなった品種が当時しポロリンと名付けられた由。また栗を剥きやすくするための調理器具が沢山登場しました。手間暇のかかる食材にもかかわらず、長く大切に愛されてきた栗。かつては建材としても珍重されてきたようです。
 町内を見ても決して数は多くありませんが何本かあります。しかし柿のように取られずに無残にも落ちるがままになっている栗が…
 そこで古来より愛されてきた栗を、町会の万葉花だよりの主題といたしました。
 万葉集で有名な歌があります。教科書にも載っているでしょう。ご存知の方も多くいらっしゃるのではないですか。それは山上憶良の歌です。

瓜食(は)めば子ども思ほゆ 栗食(は)めばまして偲はゆ いずくより来たりしものぞ 眼交(まなかひ)に もとなかかりて 安寝(さすい)し寝(な)さぬ  山上憶良 万葉集巻5 802
現代訳(旅先で瓜を食べていると、これが好物だった我が子のことを思い出す。また栗を食べているとこれが好きだった子供に食べさせたいと思うと、子どもがさらに愛おしい。どのような縁で私の子どもとしてわが胸にやってきたのだろう。そんなことを考えると、やたら(もとなかかりて)と子供の顔が目の前に浮かんできてなかなか寝付かれない。)

 反歌(前出の瓜、栗…の長歌に読み添える和歌として、並べて憶良が捕捉した短歌を紹介します。最も有名な和歌)

銀(しろかね)も 金(くがね)も玉も 何せむに 優れる宝 子に及(し)かめやも
現代訳(銀も黄金も宝石も何の価値があろうか。どうして何よりも優れている宝である子供に及ぶのもが世の中にあろうか。そんなものはあるはずがない。)

 瓜(私たちが子供の頃に夏に冷やして食べたほのかに甘い、まくわ瓜?)も、栗も、今でいう貴重なスイーツなんですね。だから子供たちを囲んで家族皆で大切に食べたのでしょう。憶良は旅先でこれを口にした。あの頃を思い、子供たちに食べさせたかった。高級官僚でありながら人間的にとても温かった憶良であるからこそ、このような歌がつくれたのでしょう。

[追加資料]さらに中学、高校の歴史、国語でも触れられたと思いますが、地方長官であった彼が上司に訴えようとした万葉集の長歌の貧窮問答歌(庶民の生活の悲惨さや窮状を歌にしたもの)も彼の人間性が如実に現れています。奈良時代の官僚としては傑出した優しい人ですね。1300年以上前のその思いが現代に伝わる奇跡。飾り気のない万葉集はいいですね。

【文・写真】戸引 一博