ここ10年近く、町内を歩いていて非常に気になっている植物があります。それは「柿」です。私が子供の頃は多くの家に植えられていました。10月末には赤く色付き始め、11月半ばの落葉を待って赤く熟れた実を家族でワイワイ言いながら採るのが秋の楽しみでした。甘さが一段と増すのが水霜が降りたころの11月中旬(最近は葉が色づいて落葉せず、緑のまま落ちることが多いですね)。抜けるような秋空に朱色の柿の実が見事に映えていました。まさに青空を背景に柿が色づいている光景は日本の原風景でした。

kaki01【柿哀し】今回は「柿」をテーマにしました。前文で気になっている…と書きましたが、それは昨今の柿の扱われ方です。あまりにも、かわいそうで…かわいそうで…なぜならば、食べごろにもかかわらず、誰も採る人もなく鳥の群れに啄(ついば)ませるに任せる…落ちるに任せる…そのような柿の悲哀を目にすることが多いのです。しかも果物店で売っている甘柿の代表格である富有柿、次郎柿が…今は食べるものが溢れているのも原因の一つでしょうか。さらに子供が食べない。実は我が家は祖父が70数年前に孫に食べさせる…と、3本の次郎柿を植えました。孫とは私のことです。今は1本が残り、老木になりましたが、秋にはたくさんの実をつけてくれます。祖父に感謝です。しかし、悲しいかな。我が子が食べない。この味わいある柿を私達老夫婦しか食べません。この現実も柿離れに拍車をかけているのでしょう。さらに高齢化すると実を採るのにも一苦労です。これからは柿を植える人が少なくなるでしょう。11月末から12月中旬にかけて澄み切った青空を背景に誰にも採られない寂しげな柿の実に、何だかこれからの日本の世相を見ているように感じます。

 そこで「柿」の源流をたどってみたくなりまた。実はヨーロッパ各国では「kaki」と呼ばれ、中国名でも「柿」と書くそうです。今から2500年前の中国の「礼記」という書物に柿の記載があり、もう、この頃から文献に載っている、ということでした。しかし、不思議なことに1300年以上も前の奈良時代の古事記、日本書紀、万葉集、そして平安時代の枕草子などにも散見しないようです。ただ中学校の教科書にも百人一首にも登場する歌聖と言われていた柿本人麻呂の姓は「柿本」。この苗字のいわれは人麻呂の家には柿の木がたくさんあった、ということです。当然、それ以前から渡来していたのでしょう。柿は果実として愛されていたことは言うまでもありませんが、柿は実のみならず材質は家具、器具などにも用いられていました。さらには漢方薬としての用途の方が庶民にはありがたかったようです。利尿剤、二日酔い、夜尿症、咳止め、葉には止血、血圧降下作用が。そして柿渋には、その渋を塗料として和紙の防水効果、防腐剤、染料として色褪せ防止、染め物安定剤等に活用したのですね。本当に柿には様々な効用があったのですね。(柿の知識は「花の縁」を参照)

kaki02 そうそう、柿に関してもう一つありました。
 世界に冠たる日本の陶磁器。その中の柿右衛門。17世紀にドイツのマイセン、中国の景徳鎮にも影響を与えたとのこと。柿右衛門の名の由来は、初代が夕映えに映える柿の実を見て赤絵陶磁を創った、と言われるほど、柿右衛門の作風と色合いが世界に知られています。このように「柿」は古来より日本にしっかりと息づいていたのですね。柿は実が色付いてこそ、その存在がはっきりわかります。町内にまだたくさんあります。甘柿、渋柿と。この秋はベータ-カロテン、ビタミンCが豊富な柿を味わっては如何でしょうか。「柿が赤くなると、医者が青くなる」と昔から言われたほど健康にいいですよ。秋の味覚の代表格です。

 柿に関する和歌は極めて少なかったので次の俳句をご紹介します。
 柿に対するほのぼのとした庶民の思いが伝わってきます。

祖父(おほぢ)、親、孫の栄(さか)えや 柿、みかむ(ミカン)  [芭蕉] 
  (※昔から代々、柿、蜜柑は家の繁栄の象徴)
柿色の 日本の日暮れ 柿食えば  [加藤楸邨]
家ごとに 柿の大木 家 ゆたか   [吉川 重]
この柿は 母の手植えと 叔母に聞く   [福島 二美]
柿食えば 鐘が鳴る鳴る 法隆寺   [正岡子規]

 あれだけ甘く、コクがあり、栄養価の高い柿は日本にしかありません。「柿は日本」、と言っていいでしょう。今後、柿の復権を祈らざるを得ません。

 [注]柿右衛門の器の写真はネットから。

【文・写真】 戸引 一博